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豊臣秀頼の本当の父親は誰なのか?その謎に迫る(その1)

豊臣秀吉の後継者・秀頼は、安土桃山から江戸へと移る激動期に、その出自ゆえに波乱の生涯を送った人物である。父は太閤秀吉、母は浅井長政とお市の方の長女・浅井茶々、通称淀殿。1593(文禄2)年8月3日、大坂城二の丸で誕生した。秀吉と茶々の第2子で、兄の鶴松は1589(天正17)年に生まれたが3年後に夭折している。だが秀頼には、果たして本当の父は誰なのかという疑問が古くから語られてきた。その謎にも迫る。草の実堂→ https://kusanomido.com/study/history/japan/edo/99296/

秦はなぜ2代で滅んだのか|李斯の決断と始皇帝死後の崩壊を史料から読む

中国を初めて統一した秦は、始皇帝の死後、わずか二代で滅亡へ向かいました。

その大きな転機となったのが、丞相・李斯が宦官の趙高とともに下した後継者選びの決断です。

本来、始皇帝の遺言では長男の扶蘇が後継者とされていましたが、李斯と趙高はこれを隠し、末子の胡亥を二世皇帝として即位させました。

なぜ、天下統一に大きく貢献した知略の士・李斯は、この危険な陰謀に加担してしまったのでしょうか。

そこには、若き日の「ネズミの寓話」に象徴される出世観、扶蘇との思想的対立、そして自らの地位を守ろうとする保身がありました。

しかしその選択は、秦帝国の崩壊だけでなく、李斯自身の壮絶な最期をも招くことになります。

草の実堂
https://kusanomido.com/study/history/chinese/china/101499/

山に捨てられた皇后・婉容の悲劇の生涯|清朝最後の皇后

清朝最後の皇帝・溥儀の正室として名を残す婉容は、美貌と教養を兼ね備えた「理想の皇后」として紫禁城に迎えられました。
しかしその人生は、王朝の崩壊とともに急速に崩れていきます。
名目だけの皇后として始まった結婚生活は、やがて夫との不和と孤独へと変わり、側室・文繡との確執や宮廷の崩壊によって、精神的にも追い詰められていきました。
1924年の北京政変により紫禁城を追われた後、天津での生活は閉塞感に満ち、やがて文繡の離婚という前代未聞の事件が起きます。
この出来事は溥儀の心を決定的に遠ざけ、婉容は名ばかりの皇后として孤立を深めていきました。
逃げ場を失った彼女は、やがてアヘンに依存し、心身ともに衰弱していきます。
満洲国の崩壊後、その運命はさらに過酷なものとなりました。逃亡にも同行できず収容施設に送られた婉容は、もはやかつての面影を失い、十分な医療も受けられないまま衰弱していきます。
証言によれば、その姿は皇后とは思えぬほど変わり果て、周囲から見世物のように扱われる状況にまで落ちていました。
本音声では、清朝最後の皇后・婉容の生涯をたどりながら、溥儀との関係、宮廷の崩壊、そして近代中国の激動の中で失われていった一人の女性の人生を描きます。
草の実堂
https://kusanomido.com/study/history/chinese/shin/104748/