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兵を率いて戦った公暁・一条兼定の波乱の生涯 〜「暗愚な当主」は本当だったのか?〜
概要
戦国時代、公家でありながら武将として戦場に立ち、土佐一条氏の存続のために戦い続けた人物がいました。
その名は一条兼定。
五摂家の一つである名門・一条家の血を引きながら、戦国の動乱に翻弄された当主です。
幼くして家督を継いだ兼定は、土佐へ戻ると周辺勢力との抗争に身を投じ、自ら兵を率いて伊予や土佐で戦いました。
しかし、やがて勢力を拡大する長宗我部元親との対立が激化。
さらに家臣との対立や老臣殺害事件をきっかけに当主の座を追われ、故郷を離れることになります。
その後は豊後へ逃れ、キリスト教の洗礼を受けながら再起を図るものの、四万十川の戦いで敗北。
島での隠遁生活を余儀なくされました。
それでもなお、長宗我部氏が警戒を解かなかったことからは、兼定が単なる没落した名門当主ではなかったこともうかがえます。
後世の軍記物では「暗愚な当主」として語られることの多い一条兼定。
しかし史料を読み解くと、その評価には再検討の余地も見えてきます。
今回は、土佐一条氏最後の当主ともいえる兼定の生涯をたどり、その実像に迫ります。
草の実堂
https://kusanomido.com/study/history/japan/sengoku/125402/


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